1995 はじめての ブエノスアイレスで、、、

はじめてブエノスアイレスを 訪れたのは 1995年2月
東京ーモスクワーマドリッドーブエノスアイレスと
帰りに マドリッドの友人のところに 立ち寄るために
当時就航していたイベリア航空で行きました
真冬の東京 大雪のモスクワを経由しての 真夏のブエノスアイレスは
湿気も 日差しも強く すごい暑さ
そして 今でも そんなに街はきれいではありませんが
当時は ボンネットバスが 排気ガスを 撒き散らしながら
タクシーも 車も 新車などは 見当たらず
日本では 決して 見かけない古い 凸凹した車のまき散らす
騒音と排気ガスや 道路の粉塵が 湿気と合間って 息苦しい感じでた
そんな車が 街に溢れ 車線も 横断歩道も 構わず 突っ込んできました
今は 車線を守らせるために 車線に杭を打って
車線変更ができないようになっていますが
大きな 6車線の道路などでは 端から端まで 行ったり来たり
まるで レースのような すごさでした
歩道は崩れ いたるところに犬のフン
道のあちこちには 物乞いの人が
カフェに入っても 子供が モネダモネダと小銭をねだってくる
街は 古く スペイン語の表示しかなく
タイムマシンで 過去の世界に 行ったようで
唖然としていました
しかし 学生時代行ったアメリカとも
ダイビングで行った所とも違う街の様子に
怖くもあり 興味もありで ワクワクでした

ワタシと一緒に行った ドイツ人のガールフレンドは
この湿気と暑さと 空気の悪さで 気管支炎になり
この旅行中 ずっと 外に 出られませんでした

日本の「ノスタルヒアス」で 知り合った
アウロラ&ホルヘ・フィルポが ワタシたちの面倒を見てくれて
ホテルも マジョ通りとタクアリの 安いホテルウルグアイに
安いといっても 当時は 1ドル=1ペソのレートの時代
日本よりも 物価が高く 感じられました

毎晩 アウロラ&ホルヘ・フィルポが 彼らの車で
あちこちの ミロンガに 連れて行ってくれました
どこに行っても 彼らは ミロンガで 知られる存在で
「私たちのアウロラ&ホルヘ・フィルポが このミロンガに来てくれています。
日本から の友人の ケンジも 一緒です。」
と 彼らのおかげで どこに行っても アナウンスしていただきました。
この経験を 何年か続けたおかげで
ブエノスアイレスのミロンガの オーガナイザーや ダンサーたちに
知って いただくことができました
ミロンガでは ホルヘ・フィルポが
「ケンジ この娘に 踊ってもらえ、次は この人!」
と 老若女 たくさんの 人を 紹介してくれました
伝説のミロンゲーラ たちとも、、、

レッスンも
「 今日ボエドで オズワルドのクラスがあるから行ってきなさい」
と 紹介され 地下鉄 や バスの 乗り方を教えてもらい
地図を書いてもらい ボエドにあった ガレリア デル タンゴに
受付で オズワルドの クラスを 受けに来た というと
体格のいい 太っちょのおじさんが ニコニコしながら
こちらに 来い という
エドゥアルドと名乗るおじさんが ここで待ってろ と言う
オズワルドが 来て クラスを 受けて帰ったら
あの 太っちょのおじさんが エドゥアルド&グローリアの
エドゥアルド・アルキンバウで
クラスを受けた オズワルドが
タンゴ ポル ドスの オズワルド・ソトだと 教えられた
それまで ステージやビデオで 見ていたが 実物は全く違っていた
というか ワタシが 何の知識なく ブエノスアイレスに来たのだった
そこから エドゥアルドには 可愛がってもらい
彼が 毎晩出ている タンゲディア ミケランジェロに招待してもらったりした
そして 2000年に ロンドンタンゴフェスティバルに一緒に出演できた時は
本当に 夢のようでした
オズワルド・ソトにも その後 ブエノスアイレスで会ったり パリで会ったり
また ビデオで見た バレンズエラや ボルケス、、
たくさんの ダンサーと会い クラスに行きました
アウロラ&ホルヘ・フィルポの 紹介で
たくさんのダンサーに会うことができましたが
日本のそれまでの ダンスの世界では 考えられないことでした
自分の生徒は 自分のところに囲い込んでおき
他のダンサーや先生と 接触させないのが
ワタシがいた普通の 日本のダンスの世界 でした
それが ケンジ 誰々のクラスに行ってきなさいと
いつも課題を与えられて 紹介してもらい
日本との ダンス環境や考え方の違いに 唖然と させられました

image
そして あの 伝説のミロンゲーロ
ペピート・アベジャネーダとの出会い
あの グスタボ・ナベイラ先生も 若い頃
ミロンガに行き ペピートの踊りを見ながら
踊り方を研究していた というペピート
アウロラ&ホルヘが親しくしていたので
ワタシも ペピートを 知りあうことができ
滞在中 ずっと ペピートのところに 入り浸っていました
タンゴ・ミオという 大きなタンゲディアに連れてってくれるというので同行した時
ショーの 終わりに 司会者が 観客に ペピートが 来ていることを告げると
300人以上の観客 総立ちで拍手で ペピートをたたえ
また ダンサー全員が ペピートに挨拶に来ました
うわあ この ブルドッグのような 背の低いおじさんは
そんなにすごいのかと 無知なワタシは 隣で驚かされました
ワタシの 人生で このペピートに出会えたことは
大きな幸せだったと思います
この 翌年 ペピートは 肺がんのため亡くなってしまいます
是非とも みなさんにも ペピートの映像を見ていただきたいですね
YouTubeにもありますし DVDも ありますから

 

四日市、焼津と ツアーをやり
今週末は 新潟県
今日 新潟市 で 明日 明後日と 十日町
東京 大雨の中 出発しました
行きますよ 新潟

image

7月3日(金)
【GIOIA MIA】 TEL 025-224-2588
新潟市中央区東堀通り7番町1016-1
18:00 Open/19:00 Start ¥3,500(当日¥4,000)+オーダー 佐藤美由紀(Pf) 川波幸恵(Bandoneon) スズキイチロウ(Gt) 清水良憲(Cb) ケンジ&リリアナ(Dance)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です