きさらぎや 寒空に舞う 花粉かな

立春を過ぎ ちょっとだけ 日がのびた気がします
白い梅も チラホラと 目につく 冬の後半
「たっぷり眠ったような顔 してますね」と言われ
鏡を見ると 目が 腫れぼったい
うわあ もう来たか 花粉の季節

手袋を 片方だけ 失くして しまいました
毎年 1回は 失くしてしまいます
去年も 同じ頃 失くしています
こういう時のために と 去年の片割れを残しておきましたが
両方とも 右手
なぜ 手袋は 左ばかり 失くすのでしょう

audibleで 本を 聞いています
同じものを 聞くのと 読むというのでは
入ってくる認識の仕方が 全く違います
聞いていると 文字で 読みたくなります
しかし 目が弱くなっているためか 長く読む集中が続きません
そう思って 聞く本にしてみたが ますます 文字で確認したくなる
聞くのと 見るのとでは どちらがいい想像力をわかせることはできるでしょうか?
ワタシは 推理小説などは 聞くよりも 読む方が 臨場感を想像できます
落語は読むよりも 聞く方が 面白い
ラジオが全盛の時代は 聞く文化が出来上がりました
映画が テレビが 生まれ 目と耳を一緒に使うことによって
なんだか 意識の識別が 散漫に なってしまったのでしょうか
ああ どのように 入力感覚を使ったら 面白いのでしょうか
人間の 5感の 感覚は 素晴らしい
と 思いながら また 本を 買ってしまい
本を読みながら 聞いています

、、、、、、、、、、、、、
はやいもので もう 2月
月を 数えるから 早いのか それとも
日付を見るからから 早いのでしょうか
毎日 写経を して その横に 数字を書き込んでいます
1826から始めた数字が 今日で 1444
この数字を 決めた日から 5年のちに0
365×5+1(うるう年の1日)=1826
そう 5年が 一区切り

彫刻は 引き算だと ワタシの 仏像彫刻の先生がおっしゃいました
そうですよね 木を削るのですから 足し算にはなりません
ワタシ 残りの人生も そうだと思います
いらないものを どんどん削り落とし コアな部分を しっかり気付く(築く)
彫刻も ただ やみくもに 削れば いいというものではないですよね
必要な部分を 必要なだけ残し いらない部分は ギリギリまで削り落とす
ただ 技術が 未熟なので どこを どれくらい まで が まだわからない、、、
写経の数字が 0になる時 それが 見えるようになればいいなあ
人生は引き算と 言いながらも
ワタシの部屋は 研磨機が2台 彫刻用のテーブルにイスと
どんどん ものが 増えていく
人生は 引き算 と 我が身に 言いきかせる

卓球のクラスに 行ってきました
やっと 身体の使い方が わかってきました
すごく 狭い場所で 早い ものに対して 身体を 素早く対処していく
自分の身体の関節が 動いていく
2gのピンポン球に コントロールする エネルギーを
関節のゆるみ 回転 腕の振り ラケット面を通してあたえていく
強すぎては オーバー 、弱すぎてはネット
そのタッチの感覚の度合 が 面白い
いやあ 実に面白いです
これ ワタシの タンゴの踊りと 共通しています
クラスに 来ている方々は お判りでしょうが
ワタシ すごく 身体が カタイ
クラス前の リリアナさんの 準備体操ストレッチの時
みなさんが 笑いだすほど カタイのです
鋼鉄の身体を持つ男です
自分でも 驚くほど 硬い 情けないくらい トホホ
まあ あたえられた 身体は 仕方ない、、、
しかし 脱力 と 抜き と 一つ一つの 関節の動きは 感じられます
これは この身体の硬さで パントマイム教室に通った成果かも、、、
そう 身体は硬くとも 関節を 一つ一つ順番に使うと
柔らかい エネルギーを 生み出すことに 気付きました
背骨を中心に 肩甲骨、肩、肘、手首、指の付け根、指の第二関節、第一関節
そして指先から 相手の身体へ
二人のホールドしたスペースは
卓球台にバウンドして身体に向かってくるピンポン球とのスペース
瞬時に 反応して 身体を動かし 柔らかいタッチで ピンポン球にエネルギーをあたえる

精神的な面で 彫刻が 、身体的な面で 卓球が
ダンスに 連動してきました
だから まだまだ ダンスが 面白い
そして まだまだ 踊りたい

ですから 写経の数字は
ココロを 変えずに こつこつ 頑張りましょうという
自分への イマシメ ですね
ココロというのは 浮気性です から あっちにコロコロ こっちにコロコロ
ですから 少しでも 同じココロを 持ち続けられるように願いたいものです

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