ブエノスアイレスの変化は 激しい
かつて 小さな通りを 争うように走っていたバス
ふつうの車や タクシーが バスに邪魔されて いつも渋滞
ビー ビー クラクションの洪水のにぎやかな街
その バスも同じ番号のバスが 2台 3台続いてきたり 来なかったり
それが あっという間に
7月9日通り 10車線のうち 内側4車線を 往復の バス通りにしてしまう
おかげで 複雑な バスの乗り場が わかりやすくなり
バスがスムーズに走り 小さな通りの渋滞も解消
やることが 早い
今回変化を感じたことは
小さな通りの渋滞が 緩和されたこともあり 自転車道路が 増えました
今まで まったく見なかった 自転車 や 自転車ショップ
しかし 東京で自転車通勤をしているワタシにとっては まだまだ怖い
車が まったく自転車に配慮なく 荒っぽく 走り回るし
道路が ゴツゴツ 荒れている
歩道は 車道以上に ガタガタ そして犬のフンに あふれている
車道には いたるところに置いてある ゴミのコンテナ
そこに上半身を突っ込み 漁る 人たち
あちこちに 寝転がっている ホームレスの人たち
地下鉄の中では 今年は ラップの生演奏が流行っていました
混んでる地下鉄でも おかまいなしに芸を見せるし
それをジャマがらず 小銭を渡す人々
地下鉄でも バスでも 老人や子供連れがいると
フワッと何気なく席をゆずる若者
あまりケンカは 見ないのですが ある時路上で男女が口論
そして女性が手を出し 応戦した男性
すぐさま 通りかかりの人や 周りの人が 中に入り引き離す
通りの家々からは ぞくぞくと 人が 出てくる
そんな ブエノスアイレスの日常の風景
10日 金曜日
15:30 リオバンバにある エルベソ のミロンガへ
ディエゴ&ゾライダの ミロンガで
18:00よりワタシたちの デモ
応援に来てくれた 15年の付き合いのテレサとも久々の再会
夜は 友人ベトの家でのパーティ
19:00ポンページャも ベトの家へ
兄のラウルと暮らす 家具もベッドも手作りの 大きな家
すぐ近くには お母さんや妹たちが暮らすもっと大きな家
ネコが2匹に 文鳥が10羽 いつもネコが狙っている
公園のように広い屋上
いつか 手作りのアサド用の ストーブを作るという
本当に ベトの兄弟は おもしろい
この広い公園のような屋上 うらやましい
アメリカ メキシコで長く暮らしたラウル手作りの本場のタコス
ベトやラウルの友人たち 十数人が 集まったホームパーティー
楽器を 持ち寄り 歌を歌い にぎやかなホームパーティーの夜はふける
夜中0:00 タクシーを呼んでもらい
ワタシたちは ラ ナショナルのミロンガへ
マルティン チョレン&バレリアンさんが
ロシア人の友達と ワタシたちの席を取って置いてくれている
そして 明け方近くまで ミロンガで
デモは エドゥアルド カップッシー&マリアナ フローレス師匠 最高です!!
翌日11日は ワタシの 誕生日
真夏に迎える 誕生日は はじめて
冬ポンが アナリア&マルセロさんと相談して
誕生日の アサドを企画してくれているというので
12:00 B線の終点駅から 歩いて行く
教えてもらった 番地は レストランではない ふつうの家
半信半疑で ブザーを押すと
家の人が 二階へ 案内してくれると
キッチンにパーティの用意がしてあります
ベランダには テーブルが準備され
アサド焼肉用の ストーブアサドール
そして大きな肉をそのまま焼く パリージャ
アナリア&マルセロさんのお友達のミゲル&アナさんのお宅で
ワタシの誕生日パーティが 企画されていたのでした
ご主人の ミゲルさんは アサドのスペシャリスト
彼が肉を買いに行くと 業者は 赤いカーペットを用意し
一番いい肉を出してくるとか
ワインと おつまみと トルティージャで 肉の焼き上がりを待ちます
もう 7時間 肉を 焼いているそうです
みんなでワイワイ わいわい で 肉を待ちます
冬ポンが 持ってきた 音声翻訳機ポケトークが人気の的
そして アナリア&マルセロさんの馴れ初めを聞いたり
日本に来始めた マナティさんとの感動の関係を聞いたり
彼らは 英語も堪能なので 話が 楽しいです
そして ミゲルさん ご自慢の肉 骨つきのコスティージャ
本当に 美味しい
食後 デザートは アナリアさん手作りのケーキ
食後 3階の ミゲルさんの音楽室へ
ミゲルさんの 姓は デ カロ
あの名作曲家であり フリオ デ カロ楽団の総帥である音楽家
その デ カロ 一族です 一族の皆さんは全員音楽家
ミゲル デ カロ さんは サックス奏者
えっ あのサックスタンゴで 一時代を築いたあの人
90年代後半に サックスでタンゴを奏でた 革命児
テレビのタンゴ番組 Solo Tangoなどでも演奏していた
ワタシも このジャケットのCDをたくさん買い求め
リマさんに あげたりして リマタンゴが産まれる もとになっていた
家で たくさんのCDの中から さがしました
ひえーーーーあの ミゲル デ カロ さんだったのだ
あーーーー驚いた 人の関わりとは どこでどう つながるのか
ミゲル デ カロさんの 演奏を聴き 演奏で踊り
夢のような 真夏の 誕生日を むかえられました
冬ポン、アナリア&マルセロさん、ミゲル&アナさん
祝っていただきました皆さま 、ありがとう!!
夜は ウンベルト プリモ にある ミロンガ スッカ
かつて あのニーニョ ビエンのあったところ
ここで 久しぶりに エンリケ さんに 出会います
かつて タンゴレラハードという ラジオ番組をやっていて
ブエノスアイレスに来るたびに ワタシも出演していました
このミロンガは 今 サロンタンゴフェスティバルというのをやっていて
その一連の ミロンガでした
ですから グループで 来られた人たち フェスで知り合ったグループが かたまり
あまり 他の人たちと踊ったりしないため
あのスガコさんも なかなか カベセオが 大変だったといいます
フェスの ミロンガは やはり 独特な 雰囲気です
今 人気のタンゴバンド VILLA 4 の生演奏と
フェスのメインダンサーたちの デモンストレーション
のとき とつじょ 停電
この建物 だけでなく あたり一帯が 真っ暗け
お客さん みんなが 携帯をつけ その灯りでフロアを照らし
バンドは ピアノ以外 フロアに降りてきて
バイオリン、コントラバス、バンドネオンの生の音で演奏し
その音と 灯りで デモはつづけられました
なんか 幻想的な 光景でも ありました
ブエノスアイレスでは なにが起こるかわかりませんが
なにに対しても おもしろい ことにしてしまいます
そんな真っ暗な 停電の区域を後に サンフアン通りを
歩いて帰りました