7 X 7 = 49

四十九日とは

故人の魂の行先が決まっておらず、
現世とあの世の間をさまよいながら、
7日ごとに閻魔大王ら十王によって裁かれ、
その裁きの7回目、七七日(なななぬか)すなわち四十九日に最後の裁きが下され、
あの世の決められた行先に向かって旅立つ日とされています。

それまでの間 母の遺骨は 東京のワタシのアパートにあり
毎日線香をあげ ワタシの彫った地蔵菩薩に 護られていました

地蔵菩薩は出家僧の姿で、地獄・餓鬼・修羅など六道をめぐりながら、
人々の苦難を身代わりとなり受け救う菩薩

そして東京からまた 実家へ母を持ち帰り 四十九日法要
仏像を 彫り 毎日写経を御朱印回りをしているワタシですが
あまり 信心深くないのですが
今回 母の病床に付いたり 遺骨と一緒にいたりして
日本の 葬儀の システムに 身をもって感心いたしました
四十九日法要、納骨、集まってくれた親類縁者との会食
それでもって フワーって母がワタシの心に
棲みついてくれた気がしました
みんなが 集まって 母を語り 悲しみを軽減してくれました

必要な時に 必要な人が集い 必要な区切りをつけてくれる
日本の仏教のあり方に 実感として 感じ入りました

親父の時には そんなものは必要ない そんなもの信じないと
僧侶に毒づいていた 不心得なワタシでしたが
年のせいでしょうか 無知なせいでしょうか

ともかく 区切りをつけることができ
みんなに支えられながら 進むことができます

翌日 中学時代の友人マコッちゃんが 線香をあげに来てくれ
そして ワタシを サイクリングに誘います
天気のいい 気持ちのいい日
桐生川沿いを 走り 山を登り 桐生ダムへ

 


混んではいないのですが
ドライブの車 ツーリングのオートバイ
フル装備の ロードレーサーに乗ったサイクリストたちに行き交います
マコッちゃんも かつてはレースに出ていたサイクリスト
ワタシは 小さなミニベロで 追いかけます
山と川しかないところですが いいところだな
たまには 帰ってきて のんびり しようっと

翌日は カワチくんと 赤城山を 登る予定だったのですが
雨のため 中止となり
カワチくんの車で 栃木市にある出流山満願寺へ
この辺り 深い山奥ながら いい鉱石やセメントで有名で
切り崩した山と 巨大な 採掘プラントが 目を見張ります
そして もっと奥に 満願寺
満願寺は 765年 日光山を開山した勝道上人により創建され
弘法大師空海も訪れたという古いお寺
大きな 山門から 本堂へ

   

そこから山を登り 奥の院へ
切り立った 崖の中腹にある奥の院
登った中には 修験者 役小角が 発見したという観音の霊窟
その鍾乳洞の中には 自然にできたという十二面観音の後ろ姿

奥の院脇には 8mの滝は 澄んだ霧を発生んでいます
大きな山全体が 霊山の満願寺

満願寺 の回りには 10軒くらいの お蕎麦屋さん
蕎麦好きの カワチくんが 調べて 1番人気の いずるやへ
駐車場いっぱいに車が停まっていましたが 入れました

五合そば 天ぷら盛り合わせ どじょうの唐揚げ
アルデンテの 上手いそばでした

そこから足利市にある行道山浄因寺へ
これも山深い山を もっと深く入った山奥の寺
関東の高野山とよばれあの行基上人が 713年創設
巨石の上に建つ眺望絶景の清心亭
もう1つの巨石から架かる橋天空橋
これを葛飾北斎が「足利行道山雲の架け橋」と描いたそうです

あなどれないですね 北関東の神社仏閣 巡り
父母の遺品を整理していて見つけた御朱印帳
うわあ 父母もやっていたのかああ
でも飽きっぽいから 3つで 終わっています
よし これいっぱいに 御朱印をいただき 供養しましょう

親類縁者 友人 たくさんの方々に
ワタシが 供養されました四十九日の日々

さあ 次へ進めの 一里塚 進みます

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