かつて 日本にもタンゲディアがありました
タンゴの生の演奏を聞き ダンスのショーを
見ることができる タンゲディア
そこにはアルゼンチンからのピアニスト
マエストロ オマールバレンテさん
そしてバンドンネオンは巨匠京谷弘司さん
そしてコントラバスは 東谷ケンジさん
そんな演奏があり
ダンサーは トップダンサーの アウロラ&ホルヘ フィルポ
ジュニオール&シルビア・トスカーノ
そんなショーをくりひろげるタンゲディアが 赤坂 に
出演していたジュニオール
1990年くらいから 1996年まで
土曜の夜は ショーの合間に ミロンガがあったので
その頃 踊る場所のなかった タンゲーロ、ミロンゲーラたちが
集った 東京唯一の タンゴの殿堂でした
土曜は ショーを見て ミロンガ で
記憶をたどると
当時は ワインが2杯ついて 8000円
決して安い値段では ありませんでしたが 唯一タンゴを味わえる場所
ワタシも 足しげく 通ったものです
そのおかげで タンゴをはじめてすぐ
アウロラ&ホルヘ フィルポの助力を得てブエノスアイレスへ
ペピート アベジャネーダ、エドゥアルド&グロリア、はじめ
ミゲル&ミレナ、ロベルト&バニーナ、たくさんのダンサー
ミロンガのオーガナイザー、そして伝説のミロンゲーロたち
と 出会い ワタシの プロダンサーとしての はじまりとなりました
その店の名は ノスタルヒアス
いまでは そのことを知っている方も 少なくなっています
3/16 その赤坂 の 一ツ木通りの同じ場所で
ノスタルヒアス が 再現されました
偶然にも 同じ場所で ミロンガを 始めたファン・ギダさんが
かつての ノスタルヒアスの話を聞き
ノスタルヒアス再現のために 力を 尽くしてくれました
ファンギダさんは 日本に根を下ろした 最初のタンゴダンサー
六本木のゼロアワー以前
飯倉片町で アーツシティを開き日本のタンゴの歴史を作ってきました
そのファンギダさんが 企画した ノスタルヒアスディナーショー & ミロンガ
演奏に コントラバス東谷健司さん、ピアノ Aoki Naokoさん
バンドンネオン鈴木崇朗さんのアドマイヤタンゴ
そして 歌に ロベルト杉浦さん
ダンサー ファンギダ& 桑原和美さん
ギジェルモ&ロクサーナさん
ケンジ&リリアナ
18:30開場 お客様もどんどんやってきます
かつての ノスタルヒアスを 知る懐かしい方々も
飲み物、エンパナーダの後
第1 ステージ
ギジェルモさんは 1995年 オマールバレンテ楽団のダンサーとして
ジュニオール&シルビア・トスカーノ、クラウディオ&ピラール
と一緒に 若手トップダンサーとして来日した時にお会いしています
そのダンサーと一緒にノスタルヒアスで踊れるなんて うれしいです
ファンギダ&桑原和美
ワタシたちの踊りの写真がないので これでご勘弁を
そして メインディナー 肉料理の数々 の後
第2ステージ
アルゼンチンの香り 満載
時間の流れも まさに ブエノスアイレス
演奏も 歌も ダンスも 素晴らしいものでしたが
皆様の プロフェッショナル魂の凄さを 感じたのは
その下地作りです
直前まで 何も決まっていなかったのに
あっという間に 形にしていく
曲順も 出番も その場で決まり それに対応して
それぞれが 動いていく
ワタシたちは この日は 4/16で オファーを受けていたのですが
数日前に Facebookを見ていて 3/16と知りました
生演奏で踊るのか? ミロンガで踊るのか?
何の曲で 踊るのか?何もわからないまま、、、、
2日前に 演奏の 東谷さんから 音源を2曲いただき
EL PORTENITOと LUNA de ARRABALに決定
すぐに振り付け 本番に
ミュージシャンの皆さまも 出番寸前まで 曲順が 知らされておらず
ああやって こうやっての舞台裏
丸の内ホームズに出演していた頃も
海外でにフェスティバルでも そんな感じで 直前まで何も決まっておらず
ワっと 短い間に 決まって すごい勢いで 本番に突入
ミュージシャンも 歌手も ダンサーも リハーサル無しの ガチンコで
やはり 現場を こなしてきた ベテランの出演者たち
どんな状態でも サラっと こなしていきます
出演者 、スタッフ、料理人、お客様
その対応力 の 素晴らしさ 皆様 プロフェッショナルです
押し押しの時間で ミロンガタイムへ
ミロンガのショータイムで ワタシたちはフェリシアを踊り
もう一組は ビクトル&アヤ
ああ楽しかった、ショーダンサーとしても
ミリンゲーロとしても
久しぶりに 終電まで 楽しみました
そう 25年前 ノスタルヒアスからの帰りは いつも終電でした
赤坂見附までの 帰り道
タンゴを始めた頃の ワタシの 心に出会いました