斑鳩王の慟哭

歴史小説は 戦国時代 幕末期を読むことが 多かったのですが
神社仏閣を 巡るようになって
仏像を彫り 写経をやり 仏教を 読むようになり
ふと 日本の 古代史 を 知りたくなりました
なぜ 古代神道がありながら 仏教を導入したのだろう?
なぜ 聖徳太子は 大王にならなかったのだろう?
と さまざまな 疑問がわいてきます
井沢元彦氏の 「逆説の日本史」から 始まり
日本の歴史学にとらわれない 井沢氏の 本を乱読
キチッとした 史実を知りたいわけでなく
大まかな 流れを 知るには 小説を と思い
黒岩重吾氏の 「紅蓮の女王 推古天皇」「聖徳太子 1,2,3,4」
そして「斑鳩宮の慟哭」をやっと 読み終えた
推理小説で 有名な黒岩重吾氏ですが
古代史小説の 平安朝以前は もう 黒岩氏の独壇場
文献の少ない中 様々な資料を調べ 古代を想像し
それを 文章にする 想像力は
推理小説以上に 素晴らしいものがありました
古代史の舞台で 生まれ育ち 高松塚古墳の発見により
古代史小説を 書き始めたという 黒岩重吾氏
ワタシの 同志社大学法学部の 先輩でも ありました

外来文化として 仏教が 百済、高句麗よりもたらされた時代
国内支配者たちも 仏教取り入れる改革派と 拒否する守旧派とが争い
結局は 仏教容認派の 蘇我氏が 守旧派の物部氏を打ち果たし
仏教文化が 日本に根付きはじめ、蘇我馬子が権力を握ります
大王を殺し 自分と二人三脚で歩んできた姪で皇后であった
推古をピンチヒッターの女帝とし
娘婿の 聖徳太子を 次の大王、皇太子としたのでした
理想的な政治を目指した聖徳太子と 現実的な馬子との 政治的対立があり
また ピンチヒッターの推古天皇が その地位にしがみつき 長生きをし
聖徳太子は 大王になることなく 死んでいきます
この時代 異母兄妹で結婚する時代 、それも 何人もの妃を持ちます
そして異母兄弟 、叔父 叔母 従兄弟などで 骨肉の争い
聖徳太子の造った斑鳩宮は 息子の山背大兄王の時代に
従兄弟の 蘇我入鹿によって 一族皆殺しにされてしまいます
朝鮮半島から 寺院建立のために たくさんの技術者 僧が 来日し
外来文化取得のために 朝鮮半島や遣隋使、遣唐使の派遣
国内氏族、渡来氏族の掌握のための駆け引き 権力闘争
現代と 同じことが 古代でも起こって いました
なぜ 聖徳太子は 大王にならなかったのだろう?
という疑問が やっと わかりました
聖徳太子の息子の山背大兄王も
聖徳太子ほどの 器量の大きさも学識もなく
つねに父太子と 比較され ますが
次期大王への野心と 理想が
飛鳥中央政権との 隔たりを大きくし そして滅亡への道へ
和をもって貴しとなす と説いた
聖徳太子一族が 和を保てなかったという

歴史の アイロニー 皮肉

聖徳太子ということを中心に読んだ6冊
日本書紀も 古事記も書かれていない時代のこと
まして 歴史は勝者によって 作られていくもの
黒岩重吾氏の 歴史観による この 古代史
ここからは 蘇我入鹿暗殺から
中大兄皇子による 大化改新へと また読んでいきましょう

この時代の 庶民の生活は 苛酷そのもの  掘建小屋で夜露をしのぎ 少ない食料も年貢で取られ 挙げ句の果てに 大王のお墓だ 神社仏閣だ 貴族の屋敷だと 苦役に駆り出され 疲れ果て 風邪をひいて死んでしまう

誰が作ったのだろう  この歴史
このような想いを持って 飛鳥 斑鳩の地を 歩いています

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