母とタンゴと灼熱と

暑い暑い熱い熱い
やっと 大好きな 夏が やってきました
実家のある 桐生は 伊勢崎、館林、熊谷と並んで
気温 最高値 を記録する 内陸地
ほんとうに 熱い 、東京が涼しく感じます

いつもは 人がまばらな 桐生の街に
8月 3日4日5日の桐生祭りには 50〜60万人の人出があるとな、、、
去年には ブルーインパルスのアクロバット飛行 が あったそうな
ワタシが 子供の頃は そんなに大きな祭りでもなかったんですよ
今回 そんな 桐生祭りの時期に 実家に帰ることになりました

母が 肺炎で 桐生の病院に入院したので
様子を見に 帰ると そんな悠長な状態ではなく
すぐに 東京にとって返し 荷物を持ってまた病院に
数日前から 熱が出ていて 入院はイヤだと言っていたのですが
そんな状態では なかったようで いとこのユカちゃんが付き添って病院に入院
ワタシが行くと 重症個室でしたが 意識もあり スマホで記念撮影
会話もでき 食事もとれていましたが 酸素濃度が低く 心拍数が160だと
主治医の話だと 今までも間質性肺炎で 肺に水が溜まっており
感染症により 急変したとのこと
今後の処置は 延命治療は行わず 苦しまないことを希望
夜中には 酸素を入れるため フルフェイスの人口呼吸器をつけるも
これが 苦しいらしく すごい勢いで 取ってしまう
我慢強い 母が イヤがって あんな力がまだ残っているのか
と 思うほど すごい力で 引きちぎってしまう
それを 看護師さんが 二人掛かりで また装着
そんなことを4,5回繰り返した気の狂うような夜
さすがに 2度目以降は 見かねて
「そんな苦しそうな 母を見ていると
ワタシが母の首に手をかけてしまいますから止めてください」
「そんな治療は 酸素濃度がよくなったとしても
人間として壊れてしまいますから 止めろ、、」
と 言っても主治医の指示なので 看護師も 止められない
明け方 主治医に連絡を取り 違う 呼吸器に変え
ホッとした 母の顔 、、、、一晩も苦しめてゴメンね
病院で 母と過ごした3昼夜
おかげさまで じっくりと母を見つめた時間でした
4日目 意識が なくなりましたが 呼吸は 安定していたので
ワタシは 夕方 翌日の 昭島昭和館のコンサートのために病院を 離れました
代演 も 考えましたが 長くやってきている 昭和館コンサート
ポスターや チラシ にケンジ&リリアナの写真が載り、
おかげさまで 満員御礼だという、、、、
お母さん ゴメン、行ってくるよ と
電車で 北千住に着いた時に いとこから母が息を引き取ったとの電話
看取れなかったねえ お母さん
看取られちゃあ イヤだったのかなあ
いつも実家に帰り ワタシが東京に戻るとき
「もう 行っちゃうのかい?さみしいねえ、もう行っちゃうのかい、、」
と言っていた母が もう あっという間に 行ってしまった
ワタシの方が 「あああ もう 行っちゃうのかい!」
ワタシの人生 いつもこんなだなあ
北千住から 引き返し 桐生に戻り 病院に行き
看取ってくれた従兄弟たちと一緒に 母と実家に帰ります

みんなが 母に会いに来てくれ そして 二人になった夜中
母のそばに お酒を持って 大声で 無縁坂を 歌います
一人の通夜

🎵母はすべてを 暦に刻んで 流してきたんだろう
悲しさや 苦しさは きっとあったはずなのに
運がいいとか 悪いとか人はときどき口にするけど
めぐる暦は 季節の中で漂いながら過ぎていく
しのぶ しのばず 無縁坂
かみしめるような ささやかな 僕の 母の人生🎵

翌朝4:30 なっちゃんに 母を頼んで 家を出て東京に
アパートに立ち寄り 衣装を持ち 昭島昭和館へ
踊れるかなあ 、ここ5日間踊ってないし寝ていない
緑が綺麗な 昭和館のチャペル
暑さも街の 喧騒も 何も感じない
ミユキタンゴ 三重奏
ピアノ佐藤美由紀さん、バンドネオン早川純さん
ギター スズキイチロウさん
それぞれの音が 身体を 通り過ぎ それにグワッと反応する


やけに 自分の中の テンションが高い
踊る 気持ちいいなあ 踊れる 気持ちいいなあ

クラスのみんなが 艶やかな着物姿で 来てくれた

ゆっくり話す間もなく メンバーにお疲れ様を言う間もなく
衣装を持ったまま また 桐生に戻る

ワタシ 喪主 なんだ 、、明日の 準備をしなくては、、、
ある程度 桐生に来た日に 葬儀社に行き段取りをつけていたので
こういうお葬式をしますと 伝えておいたので スムーズに進みますが
何がなんだか 、あれをしなくちゃ これをしなくちゃ 何がなんやら
細かいところは まったくわかりません
町内会の役員の方々への挨拶 式の 予定をお知らせ
こんな状態のワタシに いとこの奥さんや ムスメが アドバイスをしてくれる
男 一匹 なんも役にたたないのです

翌日 早くから 東京のいとこが来たり 親戚が来て 葬儀場へ
小さい家族葬 とはいえ お寺さんや親戚に粗相がないように
今 思い返しても 何が なんだったか 全く思い出せません

病院に寝泊まりした日々、東京への行ったり来たりの時間
昭和館でのコンサート、母の遺骸と飲んだ夜
母の葬儀、母の遺骨と飲んだ夜、
病院や葬儀社に支払いに回り、役所での手続き
まったく 何がなんやら と 自転車で走り回った

翌日 東京へ
荷物が多いので お母さんは 連れて帰れないので
連休まで ユカちゃんが 面倒をみてくれる

土曜日 クリスチャン&ナオさんのスタジオ
ブエノスアイレスでの デモ ありがたいことです
ダンスに集中すると すべてを 忘れる
フェリシア、オブリビオン、パジャドーラと
ガンガン すっ飛ばす 気持ちいいなあ
フェリシアの赤いジャケットから
シックな オブリビオンへ 黒のジャケットに替えようと
準備していたのですが 誰かが片付けてしまって
黒のジャケットを 見つけられず 赤いオブリビオン
そんなこんな の 楽しいミロンガ
クラスの皆さんとも ミロンガの皆さんとも
たくさん 踊りました

ある霊感の強い整体師の方が
ワタシの左隣りには いつもリリアナさんのお母さんがいるという
たぶん ワタシのお母さんは 右隣りに来るのかい
そしてワタシの前方には リリアナさんはじめ 女性の方々
女性に囲まれた ワタシの人生、、、進め!!

お母さん 90歳  最後まで 見事でした    ありがとう

 

2 thoughts on “母とタンゴと灼熱と

  1. 最後まで母親を慕っていたのですね。僕と同じです。ご冥福をお祈りいたします。

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